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羅生門と平安京

『今昔物語集』や芥川龍之介の小説『羅生門』の舞台となっている、平安京の羅生門。
朱雀大路の南端に位置し、平安京への玄関口としての役割を果たしていたこの門は、今どうなっているのでしょうか?
今回は、現在の京都と千年以上前の京都を比べて見ていきたいと思います。

平安京の構造

今から千年以上も前の西暦794年、桓武天皇により長岡京から平安京へと遷都が行われました。
東西約4.5キロ、南北約5.2キロの長方形に区画され、中国の条坊制に倣ったこの都は、碁盤の目のように道路が
張り巡らされていました。

中央には朱雀大路が南北を貫いており、この朱雀大路の東側が左京、西側が右京と呼ばれました。
そして、朱雀大路の北端には朱雀門が、南端には羅生門が置かれました。
朱雀門は、天皇が居た内裏を含む”大内裏の正門”、羅生門は”都全体の正門”として機能していたのです。

平安京の羅生門

「羅生門(らしょうもん)」は本来の意味でいくと、都城を取り囲む城壁「羅城(らじょう)」に開かれた門なので、
「羅城門(らじょうもん)」と書くのが正しいです。
これがいつしか「らせいもん」、「らしょうもん」と読まれるようになり、当て字で「羅生門(らしょうもん)」と
表記されるようになったのです。

この羅生門には、平安京の内と外を分かつ重要な役割があり、高さ約21m、横幅約35m、奥行き約9mと
非常に立派なものだったと記録に残っています。
ところが、都の玄関口という役目を担っていた割には、約180年間という短い間しか機能していなかったのです。
構造的欠陥があったのか、816年の台風により倒壊し再建はされたものの、980年に暴風雨で再び倒壊して
しまったのです。
茨木童子の伝承に見られるように、羅生門には鬼や妖怪が住みつくという悪いイメージがあったようで、
これ以降再建されることはありませんでした。

羅生門の跡地は現在では公園となっており、石碑が建てられているだけなので、何も知らないと普通に見逃して
しまうことでしょう。
平安時代には、羅生門を挟んで対称に東寺と西寺が建っていましたが、現在は五重塔で有名な東寺が残っている
だけです。
近鉄東寺駅を降り、九条通を西へ進み、東寺を越えて程なく歩くと、かつての都の玄関口がそこにあります。

現在の京都市と羅生門

最後に、現在の京都市に平安京を重ねた下図を使い、位置関係を見ていきましょう。

さて、一目でお分かりかと思いますが、かつての都の中心は、現在の「京都御所」や「京都駅」から
かなり西へずれた所にあったのです。
羅生門から伸びていた朱雀大路は、現在の千本通やJR山陰本線あたりと位置が重なります。
朱雀門は、現在のJR二条駅辺りにあったとされ、内裏はその先にあったことになります。
この内裏も960年に火災で全焼し、南北朝以降には土御門東洞院殿が内裏として使われるようになりました。
これが現在の京都御所です。

京都旅行で東寺の五重塔を見に来た際は、いっしょに「羅生門跡」に訪れてみてはいかがですか?
今と昔の地理関係を頭に入れて観光すると、新たな発見があるかもしれません。

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